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八幡原史跡公園

撮影日  2009.5.3
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交通アクセス
長野県長野市小島田町1384−1
上信越自動車道長野ICから3分
  駐車場136台
HP 長野市役所HP
長野市の公式HP


川中島の戦い史跡ガイド
(財)ながのコンベンションビューロー

電話番号 長野市公園緑地課   026-224-5054
 八幡原(はちまんぱら)史跡公園は、戦国時代に甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が5度にわたり戦った川中島の合戦が行なわれた場所にあります。この5度の戦いのうち、両軍合わせて3万3千人が戦い、死傷者7千人を数えた永禄4年(1561)の合戦の舞台になったのが、この八幡原と呼ばれる史跡公園あたりになります。

 この史跡公園の一角には八幡社があり、まわりには松林が生い茂っています。この境内には、土が盛りあがった壁のようなものがあります。これは武田軍本陣の一部の土塁で当時のものです。この境内には、この合戦で亡くなった多くの兵士の首塚もあり、ここが川中島の合戦の決戦場の一部であったことを物語っています。

 また、八幡原史跡公園には、三太刀七太刀之跡の石碑と、それを銅像で再現した信玄・謙信両雄一騎討ちの像があります。三太刀七太刀とは、川中島の合戦の時に上杉謙信が馬に乗って武田軍本陣に切り込み、大将の武田信玄に刀で三回切りかかって武田信玄が軍配でかわし、後で軍配の刀傷を確認したら七ヶ所の傷があったという有名な話です。

 この様子を銅像で再現したのが信玄・謙信両雄一騎討ちの像です。この像は上杉謙信と武田信玄が主人公の1969年のNHK大河ドラマ「天と地と」の時に建立されたもので、観光雑誌にもたびたび掲載されていて、信州の観光ポイントにもなっています。

 八幡社の境内の隣には公園が整備されています。広い芝生広場や池があり、多くの子ども連れでにぎわっています。公園のまわりには桜が多く植えられていて、桜の時期には大勢の花見客でにぎわいます。この公園にはプラネタリウムが併設された大きな長野市立博物館があり、先ほどの信玄・謙信両雄一騎討ちの像とセットで多くの観光客が訪れます。

 そのため、公園入り口には川中島古戦場案内所や手打ちそば屋、売店、地場農産物直売所が並んでいます。このように八幡原史跡公園は、地元の公園利用者と観光客が利用するので付近は渋滞になるほど混雑します。



公園駐車場から八幡社に行く途中にリンゴなどが売っている三つの果樹園売店と写真一番奥にそば屋があります。 左写真の一番奥の手打ち処「横綱」です。15時過ぎだというのに写真のように行列ができていました。 八幡社の入り口です。写真右手は川中島の戦いゆかりの地周遊マップです。
右上写真の鳥居をくぐったところ。 左写真の左側にある土塁。写真中央の土が白くなっている小道が川中島合戦の時の土塁です。ちょっとだけ高くなっています。 信玄・謙信両雄一騎討ちの像。右が馬上で切りつける上杉謙信、左が座った状態で軍配で刀をかわす武田信玄。有名な銅像なので、ここで記念撮影される方が多いです。
川中島の合戦の時の首塚で、この戦いの時に亡くなった両軍の兵士の遺体を集めて、ここに埋葬した塚です。右上写真の銅像の左側にあります。 信玄と謙信の一騎打ちの時に、信玄の家来が謙信めがけて槍を放ったところ、馬にあたり謙信を討ち損じてしまいました。これを無念と思って石に槍を突き刺したと言われるのが「執念の石」です。本殿の隣にあり、写真左下の石がその時の石と言われ、石に穴が開いています。 本殿隣にある三太刀七太刀の跡の石碑。この辺りが武田信玄と上杉謙信が一騎討ちをした場所と言われています。
本殿前にある旧本殿。写真の格子で覆われた中に小さな本殿があります。隣にはかなり太い御神木があります。
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