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■四万温泉の歴史

 四万温泉の発祥の歴史については諸説あり、詳しいことはわかりませんが、四万温泉の一番奥の日向見(ひなたみ)地区は最も歴史が古いとされ、日向見温泉とも呼ばれています。

 ここには、永延3年(989年)頃に源頼光の家臣、碓氷貞光が夜もすがら読経していた時、夢枕に童子が現われ「私はこの山の神霊です。あなたの読経の誠心に打たれたので四万の病いを治す霊泉を授けよう」と言いました。

 貞光が目を覚ますと温泉が湧き出していたという。この温泉が「御夢想の湯」と伝えられ、「四万の病いを治す」から四万という地名がついたと伝えられています。

 四万温泉が記録上初めて登場するのが、関東管領の上杉憲政関係の古文書です。1561年上杉憲政から上杉の家督と関東管領職を譲り受けた長尾影虎(のちの謙信)は関東へ出陣します。その戦の間、憲政はたびたび木の根峠を越えて四万温泉を訪れて入湯しています。

 また、「御夢想之湯」の隣に建つ小さなお堂が、国の重要文化財「日向見薬師堂」です。このお堂は、慶長3年(1598年)に伊勢国山田の住人、鹿目家貞によって建立されました。棟札には、当地の支配者だった「沼田城主真田信幸(信之)の武運長久を祈願しての事」と記されています。

 この真田信幸の父昌幸は、四万の道路などの修復をして交通の便を図り、宿と湯守を配置しました。このように、四万温泉が実質的に湯治場として機能し始めたのは、真田昌幸の時代のようです。

 四万温泉に最初の湯宿を開いたのは、田村甚五郎清正と伝えられています。永禄6年(1563年)岩櫃城落城の際、城主の斎藤氏は越後へ逃げ延びました。それを助けて四万山中に留まり、追手を防いだのが家臣の田村甚五郎です。甚五郎は四万に留まり、四万の山口地区に湯宿を開きました。その後、3代目の彦左衛門は分家して新湯に宿を開業したのが現在の「四万たむら」です。

 四万温泉の宿で有名な積善館は、元禄4年(1691年)4代目か5代目関善兵衛が現在の積善館の場所に湯場と宿を作り、その3年後の元禄7年(1694年)に旅籠宿として開業をしました。その後明治時代になって、15代関善兵衛の時にその名前から積善館と改名して今に至っています。元禄の湯は昭和5年に建てられたものでアーチ型の窓は大正ロマンを感じさせます。

 幕末から明治時代にかけて、火災や榛名山の噴火などで一時的に寂びれた四万温泉ですが、明治時代後半には道路の整備が行なわれ、新湯地区を中心に再び活気を取り戻しました。昭和29年には国民保養温泉地第1号の指定を受けました。
日向見薬師堂

日向見薬師堂の外観

薬師堂手前の門
 

薬師堂
★積善館

積善館に渡る橋

積善館の渡り廊下

ピンクの部分が元禄の湯
 

元禄の湯の中
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